自己紹介

◆関羽 政宗(マサムネ)
1978年11月生まれの蠍座 O型

三重県の田舎町に初恋の妻と子ども4人、犬2匹と暮らしています。
2016年10月からインターネットビジネスに参入し、経営コンサルタントとSNSプロデューサーとしても活動しています。

また、趣味の釣りを活かして釣りユーチューバーとしても活動しています。
株式会社を3社経営し年商約3億円(※2021年4月現在)

詳細な自己紹介は下記から読んでくださいね。
長文なので時間のある時にどうぞ。

はじめまして

はじめまして。関羽 政宗(マサムネ) と申します。

1978年(昭和53年)に三重県の田舎町で生まれました。

中学ではバスケットボール、高校ではラグビーとスポーツに没頭して勉強は得意ではありませんでした。

そんな僕は大学に進学する事は全く考えずに18歳で社会人となり、叔父の経営する建築無線会社に入社しました。

建築無線業界の仕事は大手通信会社(NTT、docomo、SoftBank、auなど)の通信工事を請け負う工事業者です。

普段から40mを越えるような鉄塔に梯子で登っての工事なので身体は相当鍛えられましたし、給料も同じ年齢の人達の平均と比べるとかなり良かったですね。

当時18歳の給料で40万円は多い方だと思います。

そのまま26歳まで建築無線業界にいたのですが、全国を飛び回る仕事だったので、妻との結婚を機に退職し地元で働ける大工の道に進みました。

1度目の退職

三重県の田舎町なので農業か漁業か手に職を持つ職人の道が一般的でした。

しかし、大工と言っても良い技術を身に付けたいので、妻のお義父さんの紹介でお寺などの工事を請け負う特殊技術の必要な宮大工の門を叩きました。

しかし、想像以上に現実は厳しいものでした。

初任給は驚きの7万円弱w(マジっす)

建築無線を辞める時の給与が年収1000万円を超えていたので、7万円/月×12ヶ月=年収84万円なのでありえない給与でした。

安い給与になるだろうとは予測していましたが、、、
まさかここまで給与が低いとは思っていませんでしたのぶったまげました。


救いだったのは、建築無線の頃の給与が良かったので退職する前にホームローンを組んでいた事です。

ホームローンを組めたのは良かったのですが月々のローン返済額は8万6千円。

大工の給与だけだとホームローンだけでマイナスになりました(汗)


なので、独立する為に貯めていた貯金を切り崩しながら宮大工の技術を習得する事になってしまいました。

修行の日々

職人の朝は早いです。
現場に6時半に集合してその日の打ち合わせをします。

僕は元々から職人なんで朝は慣れています。

僕が元々いた無線会社は以上なほど朝が早く、現場に6時半だったので現場までの距離が2時間かかる所だと出発は4時半でした。

片道2時間までは通いと決まっていたので8年間の間にそれが普通になっていましたね。

そう思うと大工の朝は遅いです。

6時半に職場に行ってその日の打ち合わせをして、道具や材料を積んで現場に向かいます。

しかし、弟子のうちは掃除ばかり。

早く仕事を覚えたいのに毎日掃除ばかりでしたので、僕は現場で親方の技術を見て覚えて家に帰ってから技術を磨くことにしました。

インターネット(ヤフオク)で大工道具を買って、ホームセンターで材料を買い仕事が終わってから夜中の2時まで毎日修行しました。

分からない事は兄弟子(親方の息子で2歳年下)に教わりました。

夜中の2時まで修行して朝は5時に起きる日々を2年間続けました。

そして、いよいよ独立の日。

独立

弟子として2年、僕はいよいよ独立しようと親方に相談しました。

親方は2年で辞める事を伝えていたのに全く覚えていませんでしたが、意外とすんなり辞めさせてくれました。

当時28歳。
やる気に満ち溢れた感じではありましたが、正直のところは貯金がそこを尽きていたので仕方なくといった感じでした。

職人修行

弟子を卒業したらすぐに独立出来ると思ったけど、そんなに思い通りにいく訳もなく、まずは職人として現場での修行が大事でした。

色んな大工さんにお願いして職人として雇ってもらう。

弟子上がりの職人は日当で1万円程度。

仕事を覚えたら金額が上がる感じでした。

しかし、僕の貯金はすでに底を尽きそう。。

その事情を知っている妻のお義父さんの知り合いの大工さんが声をかけてくれました。

「家庭もあるし大変だろうから月給で来たらいいよ」


その時はその大工さんが神様に見えましたね。

しかし、ちょうど僕が雇われると同時に親方の息子さん(2歳年下)が会社を辞めて帰って来るという事で会社の専務として入社。

給与は息子さんが管理する事になりました。

親方との初めの約束は守られず、なぜか月給はなく日当月給に変更。

※日当月給
日当で7000円。
1ヶ月で20日働いたら7000円×20日=14万円の月給支払い。

「弟子の時から比べたら二倍やろ!」みたいな感じで専務はやった感。

妻に相談も出来ずに悩みましたが、お義父さんに紹介してもらった手前もあるし一度入った会社をすぐに辞めるのも気が引けるので1年間だけ我慢する事にしました。

我慢しながらでも1年間しっかり技術を学ぼうと決めました。

人生転落事故

毎日朝から晩まで働く日々。
独立後に困らないように頑張って仕事を覚えます。

この会社に入ってもうすぐ1年。
念願の独立に向けてもうひと踏ん張りです。

しかし、独立を目前に控えたある日の仕事の帰り道。

結構なスピードでカーブを曲がってくる1台の軽トラがあり、僕は危ないと思いカーブの脇にある広い場所に車を寄せて軽トラが通り過ぎるのを待とうと思って待っていました。

すると、、、まさかの急加速!

僕の車の運転席側のドアを目掛けて突っ込んできました。

ガチャーン!!


事故の原因はブレーキとアクセルを踏み間違えるという単純ミス。

衝突の勢いで助手席まで飛ばされて僕はそのまま意識を失いました・・・


なんと独立目前に事故の衝撃で頚椎損傷。
まともに働けない身体になってしまいました。

職人は日当月給なので個人事業主扱いなので働かないと給与もありません。

しかも、事故の相手の軽トラのお爺さんはなんと無保険。


保険金も下りずに独立してこれからという所で・・・また転落。

仕事にも行けず給与のない日々をベッドの上で悔し涙を流して1人で考えていました。


数ヶ月後には念願の初めての子どもが生まれるタイミングでした。

僕は自分の人生を恨みました。

アフィリエイトとの出会い

事故の影響で身体が全身痺れていて身体が思うように動かず、相手が無保険だったので保険金も降りなかったので生活はさらに厳しくなりました。

「やばい。なんとしても稼がないと!」

僕はなんとか家にいながら稼ぐ方法がないかとインタネットで検索しまくました。

インターネットで『稼ぐ方』を検索すると出るわ出るわ。

今まで知らなかっただけでインターネットだけで稼ぐ方法がたくさんありました。

株式投資、FX、不動産、ネット物販、アフィリエイトなど、たくさんありすぎて悩みましたが、一番最初に気になった元手金の掛からないと書いてある『アフィリエイト』をやってみる事にしました。

初めてのインターネットでの情報商材のお買い物。

商品をみる事なく買うのは少しビビったけど思い切って決済しました。

そして、小包などの商品が家に届くのではなくメールでメッセージが届いてファイルをダウンロードするだけ。

すでにここでインターネットに慣れていないので混乱。

ファイルをダウンロードする事が出来ませんでした。

「うわ!騙された!」

今思えばちゃんとした商品だったかもしれないけど、もう当時の事は覚えていません。

一発でアフィリエイト恐怖症になりました。

やっぱりインターネットは怖い。
商品は自分の目で見て買わないとね。。

妻に騙された事は言わずにそっとパソコンを閉じました。

身体を騙しながら必死に働く

インターネットビジネスの恐怖を覚えた僕は痛い身体に鞭を打って現場で働くことを決意しました。

その時です。
僕の友達が働いている車屋さんで営業+レッカーの募集をしているとの事で僕を誘ってくれました。

僕は車が趣味だったのである程度の知識はあります。

営業だと身体が痛くてもなんとかなりそうだし、レッカー作業も基本は重機を使っての作業なのでなんとか身体を誤魔化しながら働けるだろうと車屋の面接にいきました。

面接はOK。
もちろん事故の事や身体の事は内緒にしました。

面接時に決まった給与は20万円。
「生活が出来る給与が20万円です」と言ったらこの金額に決まりました。

大工の時よりちょっといい感じ。
これでなんとか生活は出来そうなので安心しました。

妻も新しい就職先に喜んでくれました。

車屋での仕事

新しく就職した車屋さんでは主に営業の仕事をしました。

そして、保険屋さんから事故やトラブルの連絡があった時に救援に向かうレッカーの仕事と合わせて働きました。

ここで僕の才能が開花。

営業など話をするのは自信があったのですが、僕が入社するまでずっと赤字だった車屋さんを2ヶ月目にして黒字に転換させました。

もちろん僕の給与20万円を入れても黒字です。

そして、レッカーは保険屋さんからの依頼なので保険屋さんとも仲良くなり色々学ばせて頂きました。

黒字に転換させた方法は簡単で、飛び込みの営業でタクシー会社にいきました。

そして、車の事ではなくタクシー会社の事務所や駐車場の建物に関するアドバイスや災害保険で修繕する提案をしていたら僕を信用してくれて車の仕事もお願いしたいと言ってくれました。

そレからタクシー会社さんの知り合いで大きな病院があるのですが、そこの新しいビジネスとして介護タクシーをやると言う事で介護タクシーの購入から申請や管理までさせて頂けるようになりました。

介護タクシー事業の管理をさせていただく中で介護保険を使った修繕があるとの事で相談を受けてそのまま僕が個人事業主として仕事を請け負う事になりました。

車屋の営業とレッカーをしながら介護保険の修繕作業をするという、なんとも忙しい日々を過ごさせて頂きましたが、2011年(平成23年)に紀伊半島大水害が地元を襲いました。

紀伊半島大水害

地元では珍しい大きな災害が起こりました。

規模は甚大で僕を含めた多くの方が混乱しました。

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<被害の全体概要> 「出典:平成23年紀伊半島大水害記録誌(和歌山県)」
・人的被害
 死者56人、行方不明者5人、重傷者5人、軽症者3人の計69人。
 市町村別では、那智勝浦町が33人、新宮市14人、田辺市9人、日高川町4人、
 古座川町3人で県南部に集中しています。
・物的被害
 住宅被害は、全壊240棟、半壊1,753棟、一部破損85棟、床上浸水2,706棟、
 床下浸水3,149棟の計7,933棟で、
 非住家(公共建物を除く)被害532棟を合わせると、建物被害は合計8,456棟になっています。
※参考URL:https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080604/2011disaster/2011disaster.html
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車での移動が広範囲で出来る状態ではなかったのですが、保険会社からの電話が鳴り止まず大変な騒ぎになりました。

それでも出来る範囲で作業をしながら少しづつ車を回収しました。

車が入れない所はユンボやダンプなどの重機を持っていって作業して道を作り入っていきました。

建築業で培った経験と車屋で培った経験が活かせて良かったです。

その時に助けた家の人や救助した人からの依頼もありどんどん仕事も増えました。

ある方は車を買ってくれるし、ある方は家の修繕をお願いしてくれました。

災害があってからはずっとボランティアで重機などでの撤去作業や救助作業をしていたので、後から仕事をお願いされた時は本当に有り難かったです。

大水害の影響も落ち着いてきた頃、車屋で1年が経ちましたので退職する事にしました。

株式会社での起業

これまで色々ありましたが、やっとの思いで株式会社を設立し起業することが出来ました。

本当に地元の皆さんと一緒に働いてくれる仲間のおかげです。

おかげさまで仕事もある状態での独立になりましたので、スタートはスムーズにいきました。

しかし、身体の激痛は治らず日に日に悪くなっていくばかり。

将来の不安と戦いながら日々の仕事をこなしました。

そして、『これからの2年間はしっかり学ぶ』と決めました。

事をしてまとまったお金が出来たら都会(東京・大阪・名古屋)に行って色んな講義を受けて学ぶ日々が続きました。

一度は諦めたインターネットビジネス(前はアフィリエイト)ですが、これからの時代に必要だと感じもう一度学び直す事にしました。

都会(東京・大阪・名古屋)に学びにいくようになって色々な方に出会いました。

その中の1人が香港で生命保険ビジネスをやっている人でした。

香港での積み立て生命保険

日本の生命保険ではありえない年利8%以上の商品がゴロゴロありました。

色々調べて香港まで直接行ってあり方に会いました。

その人は日本人なのですが、もう何年も香港で生命保険を販売しているバイヤーさん。

バイヤーさんって聞こえは悪いかもしれないけど日本でいう代理店って意味です。

単身で初めて香港に行ったのですが、右も左も分からない状況で今みたいにスマホも持っていなかったので大変でした。(初めて海外に行ったのは父と2人でサイパンに釣りに行った時だけ)

事前に調べられるだけの情報を調べて地図と一緒にプリントアウト。

たくさんの紙を持って香港に行ったのを覚えています。

そして、なんとか保険屋さんに会えてHSBCの銀行口座の開設を済ませて、積み立て保険の契約まで完了し、そのままの勢いで中国のシンセンまで行って中国銀行の口座まで開設して定期預金を組んできました。

なんと、忙しく頭の混乱する行動だったでしょうか。
自分の考えうる範囲を超えた時ってテンパりますね。

当時はギリシャが破綻して後だったので日本の破綻を疑っていた僕は海外への逃亡を考えていました。

「日本も1000兆の借金がある!ギリシャのように破綻するかもしれない」

そう思って海外に資金を逃すことを考えているうちに積み立て保険も入る事にしたんですよね。(今はこの香港の生命保険は停止しています)

香港の夜は不安もあったけど楽しい夜を過ごしました。

夜のバーを歩き回り海外の人達とどんちゃん騒ぎで飲みました。
(※注意:僕は英語は全く喋れません。言えてもハローくらいです。)

1人で夜の香港を歩いていると右から警察官。
そして、左から警察官。

気付いたら後ろにも警察官が来て、三方から囲まれて後ろから腰の辺りに拳銃を突きつけられて低い声で「パスポートプリーズ」と言われました。

焦った僕は震えながら冷や汗のかいた手でポケットからパスポートを取り出して警察官に見せました。

すると、警察官は僕の顔を二度見して「ジャパニーズ!?」と言い大笑い。

他の警察官もつられて大笑いしていました。

訳の分からない僕でしたが、なんとなくその場の雰囲気で他の国の人と勘違いしたんだなと推測。

怖い香港の夜でしたが一件落着しました。

そうして何事もなく日本に帰国。

この世界を見た僕は更にインターネットの世界にどっぷり入っていくことになりました。

先物投資で一発逆転

一度アフィリエイトで騙された僕は(←勘違いかも)ネット検索で色々なことを調べました。

アフィリエイト、株式投資、FXなどなど。

あらゆる事を調べました。

そんな時です。

ある一本の電話がありました。

「社長レベルなら先物投資がいいですよ。今がチャンスです!」


まぁ、学んでいる僕だからこの電話の意味が分かったのだろうとその営業マンの言うことを信じて原油の先物投資をする事にしました。

最後の決め手がこれ

「社長に儲けてもらわないと私どもは収益がありませんからね」

なるほどなるほど。
お互いにメリットがあるって事なのね。

初めは700万円からスタート!

初めてすぐに暴落がありマイナス(汗)

「おい!営業マン!どう言うことや!」

でも、営業マンはこう言います。

「今までの実績から見てもこれほど下がった事がありませんのでチャンスですよ!」

追証になっているので追加で1000万円。どりゃー!!

これがお金に働いてもらうってことや!!!

世の中の多くの経営者は気付いてへん域に俺はおるんや!ワハハ!

でも、すぐに暴落がありマイナス(汗)

「おぉーい!営業マン!どう言うことや!!!」

でも、営業マンはこう言います。

「今までの実績から見てもこれほど下がった事は一度もありませんのでこれはまさに大チャンスですよ!」

追加で1000万円や!うりゃー!!

・・

・・・気付いたらマイナス1億円(大汗)

追証なので途中で辞めることが出来ずにここまで膨らんでしまいました。

持ち出したお金は数千万円ですが、買った分も合わせて1億円もマイナスになっていました。

結果、お金に働いてもらうって大変でした。。

気を取り直してインターネットで勉強のし直しです。

情報発信ビジネスとの出会い

インターネットを検索していると『これからの時代は情報発信が大事』と言うのを見つけました。

初めは意味がわかりませんでしたが、よく読んでいくと『自分の経験を知りたい人の為に提供するビジネス』と書いてありました。

まぁ、確かに僕の人生で学んだ事を知って特になる人がいれば良いけど、僕のことなんか知りたい人がいるのかな?

「そもそも自分をさらけ出して興味を持ってもらえなかたら今よりも惨めになるんじゃないか?」と不安になりながらも情報発信というキーワードが気になっていました。

そんなある日、一冊の書籍を読んでいる時に『大富豪に会えるチャンス』をがある事を知りました。

早速、そのチャンスに飛び込み自分の知識や経験が役にたつのか確かめに行きました。

その会に入るのに年間120万円が必要なのと会うための旅費が必要でしたが、このチャンスをものにしたいと頑張って資金を捻出しました。

そして、ハワイまで大富豪に会いにいきました。

2回目の単身海外はハワイ!
ガラケーを握りしめてひとっ飛び!!うりゃ!

しかし、そこで知った衝撃の事実!!

ハワイで会った大富豪と仲間達

旅行用の大きな90Lのリュックに着替えと洗面用具とプリントアウトした紙を沢山入れて、いざハワイへ出発!

初めてのハワイだけど仕事なので観光的にはウキウキしない。

大富豪に会えるのはドキドキ。。

そして、僕と同じように来ている人達に会えるのも密かに楽しみ!

どんな凄い人たちがいるのだろう??

期待を胸に目的地に向かいます。

現地に着いたらリュックから紙を出して目的地のホテルに向かいます。

集合場所に着くと・・・

何やら雰囲気のありそうな人達がゾロゾロと居ます。

そして、誰にも話しかけられずにちょこんと端っこの椅子に腰掛けて待つ事数十分。

子どもを沢山連れてベビーカーを押す1人の男が寄ってきた。

そして、主催者の方に挨拶をしている。

え?まさか家族で来たんか!?
うちの子どもより小さい子どもを3人も連れて凄いな。

「やっぱりハワイまで大富豪に会いに来るという人達はなんか凄いわ。」

と関心していました。

『この子ども連れの男こそ先でパートナーを組む子龍(シリュウ)さんである』


そして、夜の会食と会合が始まった。

初めて会う大富豪。

ゴゴゴ・・・・・

やはり雰囲気がある。只者じゃないのは分かる。

今の経済の事やこれから起こる未来の事など色々な話を聞かせて頂いた。

そして、質問会。

誰も話をしないので様子を見ながらちょろっと質問させて頂いた。

「カクカクシカジカなんですが僕のやり方はどうでしょうか?」

大富豪は少しニヤリとしながら、

「ほ〜、お前はようわかっちょるの〜そのままやれや」

とお墨付きを頂いた。

なんと、僕が先物投資で失敗した時に思い付いた苦肉の策が実は正解だったようだ。

僕は少し安心した。

そして、この時に一緒に過ごした仲間達と色々な話をする事で僕の日本でのレベルというものがなんだか分かってきた。

 

そして、この大富豪の会の主催者がこの会とは別に情報発信のコミュニティーを主催するという事で僕は参加することにした。

そのコミュニティーの中にはこの大富豪の会のメンバーの1人である子龍(シリュウ)さんも在籍していた。

情報発信のコミュニティー

大富豪の会で知り合った子龍(シリュウ)さんに「え?やらへんの?」とそそのかされる形で僕も参加した情報発信コミュニティー。

ここで初めて情報発信というものを知った。

情報発信は自分発信。

自分の事を発信して信用を得てビジネスに繋げていく。

ビジネスだけじゃなく自分発信から仲間を作ったり、パートナーを作ったりするのが目的らしい。

そうか。

今からの時代はネットの世界に住んでいるようなもの。

「リアル世界はしがらみや世間体で繋がっているけど、ネット社会はそのままの自分で居ていいんだ。」となんだか今まで頑張ってきた自分とは違う自分が出せそうで気分が高揚した。

まずは自分の求めるものは何?

僕の求めるのはビジネスに繋げる事。

そして、自由な時間と働く場所を選ばないようにする為の働き方を手に入れる!

ずっと憧れていたネットビジネス。

どこにいても仕事が出来る。

事故に遭って身体が自由にならなくなってからずっと追い求めていた理想のビジネススタイルだ。

このビジネススタイルを手に入れたら僕の身体が動かなくなったとしても家族を路頭に迷わせる事がなくなる!

自分発信

自分をネット上で出していくっていってもかなり難しい。

僕の場合だと建築関係で働いてきた事と趣味の釣りくらいしか思いつかない。

まずは方向性を決めて走り出さないと走っていく方向が決まらない。

 

ただいま作成中

 

 【DRAW MY LIFE】で自己紹介動画を作りましたので良かったら観て下さいね!